続き、登山女子♪
ちなみにこのブログを読んでいると辛くなると思うので
BGMには「野に咲く花のように」を強くおススメします♪(笑)
ただいまビシバシと
自然の厳しさを感じ中。
無言ちゃんがダウン。
辛い時、人は歌い出す。
ピーチクパーチクちゃんに変身。
何故なのだろうか。
自分を鼓舞しているのか。
「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで・・・」
ぎゃああああぁぁ(@□@;lll)いやああぁぁぁー!!!
↑ 選曲間違え(笑)
すぐに無言ちゃんの復活。
↑ 普通は歌で元気ちゃんが復活するのが
セオリーなのにね♪(-▽-*)なはは♪(笑)
正直、この時。
登山をもうやめようと思った。
何故なら雲が出てきて
景色も何も見えなかった。
いいじゃん、いいじゃん。
引き返せばいいじゃん。
曇り空だから山頂に行っても
何も見えないんだから。
いいじゃん、いいじゃん。
引き返せばいいじゃん。
皆、無理しないでねと優しく
送り出してくれたんだから。
いいじゃん、いいじゃん。
今度、また、いつか・・・
まぁさ、やりたくなった時にやればいいじゃん。
山がバイバーイって
逃げるわけじゃないんだから。
いいじゃん、いいじゃん。
無理しないでいいじゃん。
むしろ今だって引き返すのも
辛い位に身体疲れてるんだから。
いいじゃん、いいじゃん。
山頂だけが人生じゃないじゃん。
結局、この山がきつ過ぎるのが
悪いんだから。
自分の中でグルグルと回る
逃げの感情。
人間って、いや、自分って面白いな。
どうやって逃れようか、やめようか、
その理由を必死に考えていた。
雨が降った事に・・・
とか
一緒に登った友人がちょっと・・・
とか
何もかも、何かの、誰かのせいにして
自分の責任ではないようにしたかった。
無言ちゃんの意思は着々と
下り坂へと進んでいった。
顔はずっと下を向いていた。
ヨタヨタとフラフラと歩く。
何かに足が引っ掛かった。
木の根っこだった。
「うううう(;□;)もうヤダ!」
座り込む。
もう何度目だろう。
何分かおきの休息タイム。
↑ 多分多過ぎ(笑)
一緒に登ってくれた友達は
ずっと優しく見守ってくれていた。
ゴメンねとありがとう☆
そこで今まで休息中はミネラルウォーターを
グビグビと飲んでいたのだが
この休息の時は水筒に入れてきた
温かい緑茶をズズズーと飲んだ。
何故だかホッとした。
我が家は祖母と一緒に暮らしている。
昔から遠足や登山の時にはいつも水筒に
温かいお茶を入れるのが決まりだった。
小学生の時、汗をかいて暑い時に
周りの子が冷たい麦茶か何かを
クゥー美味しい!とゴクゴク飲んでいたのが
非常に羨ましく妬ましくまた温かいお茶を
持ってきている自分に引け目を感じ
コソコソとふーふーと冷ましながら
隠れてお茶を飲んだ思い出がある。
子供ながらに怒りと悲しみがわき出た
あの時の悔しい記憶がパッとよみがえった。
その時に家で祖母を責め立て
ワンワン泣きついたような気がする。
祖母は「そうか、そうか。まいちゃん悲しかったね。ごめんね」
と優しい笑顔で言ってくれた。
そして次の何かの行事の時には
キンと冷たい麦茶が水筒の中に入っていた。
嬉しさと申し訳なさとが入り混じった感情の中で
ゴクリと飲んだその冷たい麦茶は
自分が想像していたよりも
あまり美味しいとは感じなかった。
しかも元々身体が弱いのもあって
冷たい物を飲みお腹を下した(笑)
自業自得とは
正にこれいかに。
だがそこではじめて祖母が私の身体を心配して
いつも温かいお茶を入れてくれていたのだと気付いた。
また祖母の前で
ワンワン泣いた。
祖母は「ごめんね、まいちゃん。お腹痛かったね」
と頭をなでてくれた。
・・・と思う。
だって何十年も前の
記憶なんだもの♪(笑)
ばぁば、いつも正しいのに
謝らせてばかりでゴメンね。
ばぁばのシワシワだけど
温もりある優しい手が大好きだよ。
それからと言うもの水筒に入っている
温かいお茶が大大大好きになった。
・・・^^
大人になったなぁ♪
と休息しながら
物思いにふけりつつ
否、子供のままやんけ!
と現状の自分に
ハタと気付く★
・・・。
(-.-*)遠い目。
よしっ!
少し気持ちが落ち着いた(笑)
やめようと思うことをやめようと
決意する。
↑ ややこしや(笑)
ばぁば、ありがとう☆
気持ちも復活し
鼻歌子ちゃん♪
休息中に改めて辺りを
キョロキョロと見回してみた。
人間って、じゃなくて
私は、とても単純だ。
感情が前向きになると
見える景色も変わるのだ。
新しい世界が鮮やかに
パッと目に飛び込んできた♪
木の根っこが土からぴょこんと顔を出していた。
長い。しかも何かセクシー♪(謎)
凄い生命力にビックリ!
その元気の良さについ笑顔になった。
また山には鳥の鳴き声が沢山していたのだが
ずっと「鳥の鳴き声はすれど姿は見えず」だった。
疲れ出した時★
「これってさ~どっかにスピーカー置いてさ~
そこから~鳥の声を流しているんじゃないの~」
と極悪発言をしていた(=□=lll)
鳥さん、とか色々な方(?)ごめんなさい。
だけど鳥さんは逃げも隠れもせず
もうずっとそこにいたのだろう。
楽しそうに歌っていた。
ただ、見えていなかった。
見ようとしていなかったのだね。
木の上の鳥を発見し
そっと見つめた。
険しい山道を見ると
左右にツツジが咲いていた。
見ようとする心。
いつも何だって自分の心次第なんだなぁと
自然に教えてもらった気がした。
そこから奮起して、ゆっくりゆっくり
また自分のペースで歩き出した。
すると厳しい自然が段々と
厳しく感じなくなった。
うまく説明出来るか分からないのだが・・・。
自然を厳しいと感じる感覚は変わっていない。
むしろ凄い厳しいと感じる。
だけど自然と言うものはずっと自然体で生きてきていて
自然は今までもこれからもずっとありのままの姿なのだ。
厳しいと思うのは自然の中に人間が
お邪魔しているからなのだと分かった。
・・・。
むーん。
全然、自分で書いててもよく分かんない(笑)
けど自然は自然で変わらないのだから
こちらが変わればいいのだと気付いた。
どう自然と生きていくのか。
それを考えた。
そうだね。
山に登る魅力、その3☆
大自然の中にいるとその厳しさにより
自然との共存を考えられるようになる♪d(~▽~*)
ゴフッ!(笑)
大変だけど楽しい♪
ブログ続く^^♪(笑)